流れる/積み重ねる/塚をつくる

Kumiko Sanae photography

 

平成から令和に改元された節目の日である今日、長らく更新の滞っていたこのブログを再開してみようと思う。

ブログから離れてしまっていた理由はいくつかあるけれど、InstagramやFacebookなどのSNSの存在も大きな理由の一つ。

ここ数年、毎日とはいかないけれど週に何度かは、写真と短い言葉をInstagramに投稿して、Facebookへも同時にシェアすることを続けていた。その手軽さと気軽さが、投稿する方にとっても見る方にとっても負担が少なく、よくできた仕組みだと思う。

けれど、SNSの不便な点もずっと気になっている。手軽だけれど、自分の投稿も膨大な量の投稿に紛れて流れていってしまう。コンテンツとしての蓄積のない感じが、どこか虚しさに似た感覚をもたらす。「今」をシェアする即時性には長けているけれど、後から振り返る時に記事を探しにくく、読みたい記事にたどり着けないこともある。

それに、何と言ってもSNSサービスは、今後どれくらい長く同じサービスが支持され続いていくかが不透明なことが気に掛かる。サービス内容も時代や社会の変化に合わせてどんどん変化するし、ずっと今と同じ使い方をできるかどうかはわからない。

そう考えると、個人のWEBサイトやブログにもやはり意義があるような気がして、ここに戻ってきてみた。

もちろん、SNSでの発信も続けるつもり。それぞれの良いところをうまく活かしたい。

写真を撮る時、私にはやはり「残したい」という思いがある。もっと正確に言えば、「積み重ねたい」という感じがより近いかもしれない。一時的ではなく、年月を経ても存在するイメージ。それと同じで、こんな風にただただ思いつくままに綴るだけの文章であっても、やっぱり流れていくよりは、積み重なっていって欲しいと思っている。何となく、小さな塚を作っているようでもあるなと、この文章を書きながら思った。

Flowers

モヤチッチ(倉敷フォトミュラルf個展部門入選作品/飯沢耕太郎選)