写真と言葉

2020年を生きる

新しい年が始まりました。
2020年という数字の区切り感のせいもあるかもしれませんが、今年はギャラリーも20周年を迎えることもあって、自分的にもなんとなく節目の年な感じがしています。

振り返ってみれば、ここ3年ほどはどちらかと言えば忍耐な時期だったように思います。写真も迷走気味で、色々なことが中途半端になっていく感覚に、いつもどこか焦りを感じていました。

昨年、縁あって長野県飯山市を訪れる機会があり、今の自分が本当に撮ってみたいと思えるものに出会えたような気がしています。大学生の頃から何かと縁の続いてきた長野県。信濃の山間の民俗風土に惹きつけられていく自分の心に素直にしたがって、しばらく撮影に取り組んでみたいと思っています。

ギャラリーの仕事だけでなく、個人としても写真の仕事をもっとやっていきたい。写真も、形にすることを焦らず自分の本当にやりたいことに集中して取り組もう。そんな想いとともに、2020年を生きてみようと思います。

本年もどうぞよろしくお願いします。


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撮りたい気持ち

私にとって「撮影したい」は、「もっと知りたい」と同義だ。
今、私には撮影したいと思う場所がある。
しばらく撮りためてみるつもりで、楽しみにしている。

だからだろうか、今更ながら機材やツール類に物欲を発揮している。
どちらかというと、気合いを形にしたいタイプ(つまり、形から入るタイプ)なので、
やる気に満ちている証拠だと思っておこう。

ということで、、、
私の写真のお道具に、新たなカメラバッグが仲間入りしました。


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思考の檻を出る

昔、この先の人生は過去を生きてやろう、と本気で思っていたことがあった。今思うとあれは生きることと矛盾する望みだったが、当日の私には切実な決意だった。

そんな風に生きていくことはできないと知らせてくれたのは、自分が撮る写真だった。自分の意識が変わるより先に、撮る写真が変わっていってしまったから。それで気づいた。過去と同じではいられない自分に。

展示などで発表した作品で言えば、「あのひと」は過ぎた日々のことを見ていた頃の作品で、「モヤチッチ」は変わっていく自分と世界への違和感から生まれた。あの頃は、ただ写真を撮っていた。作品としてどうとか、そんなことを撮る前に考えたりしなかった。 

ごく最近、ある人から「あまり考えずにとにかく撮ったほうが良い」というアドバイスをもらった。もう一度「ただ撮る」ところからやればいいのだと思ったら、なんだか懐かしいところに帰ってきたような気持ちがした。いつの間にか、自分で自分を不自由にしていたのかもしれない。

 

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クレマチスの連想

8月の始め、お便りプロジェクトの2通目の手紙を書いた。

ポストカードにはクレマチスの写真を選び、手紙の話題は花火のことだった。いつも、カードの写真とそこに書く手紙の話題には直接の関連はないのだけれど、クレマチスと花火は、私にとってはまったく無関係という訳でもない。

クレマチスは、日本では「鉄線(テッセン)」とも呼ばれている。鉄のように強い蔓を伸ばすことから、その名前がついたらしい。花の時期が初夏なので、夏の着物や浴衣の柄としてよく使われる。私は、美しく咲く鉄線を見るたびに、浴衣をイメージして、夏の風情にときめきを覚えるのだ。

クレマチス → 鉄線 → 浴衣 → 花火

こんな連想で今回の手紙を書いた。

手紙を受け取った方も、クレマチスの花を見て何か思い起こしたりすることがあるだろうか、と思いを馳せながら。

カラープリント

涼しくなったら、久しぶりにカラー暗室に入るつもりだ。ここ暫く、暗室から遠ざかっていたけれど、もう一度、自分でプリントをしてみたいと思っている。

カラープリントを自分の手で行うようになったのは、私がナダールのスタッフになった2012年頃から。最初は、どのようなプリントに仕上げたいのかが自分でもわからず、色を見る力もなかった。プリントしている最中には思い通りにできたと思っていたのに、翌日もう一度見てみたら色が汚く感じられて、自分のプリントの下手さに落ち込むことも。それでも、自分の手で作り上げていく感覚は好きで、現像済みのネガが何本か溜まると、早くプリントしたくて暗室ができるタイミングを楽しみにしていたものだった。

それが、ここ2年ほどパタッとやめてしまって、プリントが必要な時はお店に任せていた。写真を自分と引き離した存在にしたくて、その為に他人にプリントしてもらうことが必要なのだという思いも少しはあったけれど、本当のことを言えば、プリントまで自分の手で仕上げたいという渇望がなくなっていた。理由はわからない。忙しかったせいかもしれないし、大変な思いをしてまでプリントしたい作品に取り組めていなかったということかもしれない。

暗室は思いのほか大変なのだ。やれる時に一気に作業するので、一度暗室に入ると長時間プリントし続けることになる。集中力を使うので、終わる頃にはヘロヘロ。金銭面だって馬鹿にならない。印画紙1箱買うのだって、諭吉さん1人では済まない。準備も、液を作るところから自分でする必要がある。とりわけ気が重いのが後片付けだった。プロセッサーから液を抜いて、何度か水を入れ替えながら循環させて洗う。ローラーなどもすべて取り外して流水で細かい部分までしっかり洗う。この後片付けの作業だけで1時間以上の時間がかかる。しっかり丁寧にやらないと大事なプロセッサーを傷めてしまいかねないので気が抜けない。

暗室で自分でプリントを作るのは、こんなにも手間暇かかることなのだけれど、そのこと自体に特別な価値があるわけではない。手焼きしたから偉いなんてことは全くない。ただ自分自身にとって「そうする理由」があるからする。それだけのこと。でも、何かを作ろうと思う人にとっては、その自分にだけ価値のある理由こそ、大事にするべきことなのかもしれない。だから、私は暗室に戻ってみようと思う。

久しぶりの暗室は、きっと苦労するだろう。