写真と言葉

自負をもつこと

「自負」という言葉を、最近あまり聞かなくなった。先日読んだ白洲正子のエッセイに「自負」という言葉が出てきて、久しぶりに見たその言葉の凛とした気配に、思わず姿勢を正してしまった。

じふ【自負】
自分の才能や仕事に自信をもち、誇らしく思うこと。また、その心。
(大辞林より)

 自負に代わる言葉として思いつくのは「プライド」だけれど、プライドという言葉には、どこか少し批判的なニュアンスや、かっこ悪さを含む微妙さが付随してしまうことが多いような気がする。本来、正しくプライドをもつことは誰にとっても大事なことだし、それが「自負」なのではないだろうか。それは、自分で自分を支えて生きるために必要なものであり、過剰に他人に寄りかかることなく生きることは、自分に関わってくれる全ての人への敬意と感謝を表現することであると思う。

自負をもつことは、機嫌よく生きることにも繋がる。機嫌よくいるのは、その言葉の気軽な雰囲気ほどには簡単ではない。正直、その時その時の気分に身を任せてしまえば、あっという間に不機嫌になってしまえる。世の中は自分の思う通りにならないことばかりだし、煩わしくて面倒なことで溢れているから。それでも、機嫌よくいることは、大人として身につけておきたい能力だと思っている。少なくとも私は、そういう分別をもった大人でありたい。実際には、まだまだ自分自身の気分のムラに振り回されることが多く、未熟さを痛感するばかりだけれど。

深谷かほるさんの『夜廻り猫』という漫画に、宙さんという飼い猫のキャラクターが出てくる。いつも「機嫌がいいのが僕の仕事さ」と言って穏やかに、優しさを分け与えながら生きる宙さんは、私の目標だ。

自重すること。自制すること。自負をもつこと。機嫌よく生きること。難しいことだけれど、自ら手放すことなく、目指し続けていきたい。

秋の森で

北八ヶ岳の森に行ってきました。
標高2,000m以上の地点にある白駒の森。
ずっと行ってみたいと思っていた森に、ようやく入ることができました。

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私は森が好きです。心安らぎます。
すっとする森の香りは清々しくて気持ちが良いですし、
樹々の上を渡る風がサワサワと葉を揺らす音も心地よく響き、
その包み込まれるような優しさに身を委ねていたくなります。

けれど同時に、森には怖さもあります。
果てなどないかのように、奥へ奥へと深まっていく森は、
見つめているだけでも、距離感や方向感覚が失われていくような危うさがあります。
急にピタリと風がやみ、しんとした静寂が辺りを包むような時には、
自分自身の存在がとても心許ないものに感じられて、ゾクリとしたり。

そこにずっと佇んでいたいのに、
ふっと迫ってくる恐怖心。
美しい秋の彩りすら、ドキッとする怖さを湛えて見えたり。
こういう感覚を畏怖とか、畏敬というのかもしれません。

落ち着く場所であり、落ち着かない場所でもある。
それが、森です。