写真と言葉

とても小さな旅のこと

友人と鎌倉に行った。
古民家的なカフェでまったり過ごすのが1番の目的だった。

訪れたのは、北鎌倉にある「喫茶 ミンカ」。
小さな路地の突き当たり、草木の茂る小さな庭の奥にひっそりと佇む古民家。じっと静かに訪問者を待っているような気配に満ちていた。

カラカラとガラスの引き戸を開けて中に入る。古い丸い机を選んで席についた。私が注文したのはアイスコーヒーとピロシキ。と、プリン。

友人が注文したのは、アイスミルクコーヒーとピロシキ。そして、プリン。

頼み終わってから「ピロシキってなんだっけ」と、友人が独り言のようにつぶやく。ロシアとかの揚げパン的なやつだよね、と思いつつ、いまいち自信のない私はふんわり聞き流してしまった。

まぁ、もう頼んじゃったし、きっと美味しいやつだから大丈夫。

運ばれてきたピロシキは、思った通り揚げパン的なやつ。よかった、合ってた。もっちりサクッとした食感が心地よく、包まれているミンチ肉の具材もほっこりした優しい味わいだ。

デザートの自家製プリンは、滑らか過ぎない素朴な感じ。幼い頃に母が作ってくれたプリンを思い出す。まさに、懐かしい美味しさだった。そういえば、子供の私にとってプリンの醍醐味はクリーミーなカスタードだったけれど、今は、甘くてほろ苦いカラメルが堪らない。カラメルあってこその、プリン。断然、カラメル派。

美味しいね、と言い合いながら食べた。

食べながら、最近どう?と尋ね合った。

思うようにいかないことがあるとか、迷っていることがあるとか、美味しいものを食べてゆったり笑いながら、そういう話をする。えーっ、そうなの!?と驚く意外な本音に触れたり、わかるわかる、私も同じ!と、思わず身を乗り出してしまう共感があったり。

女の話はこれだから…と言われるかもしれないが、別に結論はないし、解決もしない。

でも、決して無駄なんかじゃない。

「最近どう?」と聞くために、
「最近どう?」と聞いてもらうために、
二人して鎌倉まで出かけて来た。

日常を離れる、小さな旅。

明日からも頑張ろうという充足した気持ちで別れた。
癒しの旅だった。

健全に生きる

最近の私のテーマは、「健全に生きる」だ。

疲れたり行き詰まったりすると、「肩の力を抜く」とか「頑張らない」とか「無理しない」とか、自分を支えるために色んなことを考えるけど、大切なのは健全であるかどうか。

仕事でも何でも、頑張らなきゃいけない時はあるし、無理のしどきもある。疲れても、ヘロヘロでも、健全な気持ちで生きていられているなら、大丈夫。

ちなみに、私にとっての「健全」とは、人として真っ当であること。人にも、自分にも、社会にも、普通に接点をもてること。優しさをもてること。想像力をもてること。許せること。

そんなことを考える度に、私は健全に育ててもらったんだな、と有り難く思うようになった。
歳かな。
歳だな。

流れる/積み重ねる/塚をつくる

Kumiko Sanae photography

 

平成から令和に改元された節目の日である今日、長らく更新の滞っていたこのブログを再開してみようと思う。

ブログから離れてしまっていた理由はいくつかあるけれど、InstagramやFacebookなどのSNSの存在も大きな理由の一つ。

ここ数年、毎日とはいかないけれど週に何度かは、写真と短い言葉をInstagramに投稿して、Facebookへも同時にシェアすることを続けていた。その手軽さと気軽さが、投稿する方にとっても見る方にとっても負担が少なく、よくできた仕組みだと思う。

けれど、SNSの不便な点もずっと気になっている。手軽だけれど、自分の投稿も膨大な量の投稿に紛れて流れていってしまう。コンテンツとしての蓄積のない感じが、どこか虚しさに似た感覚をもたらす。「今」をシェアする即時性には長けているけれど、後から振り返る時に記事を探しにくく、読みたい記事にたどり着けないこともある。

それに、何と言ってもSNSサービスは、今後どれくらい長く同じサービスが支持され続いていくかが不透明なことが気に掛かる。サービス内容も時代や社会の変化に合わせてどんどん変化するし、ずっと今と同じ使い方をできるかどうかはわからない。

そう考えると、個人のWEBサイトやブログにもやはり意義があるような気がして、ここに戻ってきてみた。

もちろん、SNSでの発信も続けるつもり。それぞれの良いところをうまく活かしたい。

写真を撮る時、私にはやはり「残したい」という思いがある。もっと正確に言えば、「積み重ねたい」という感じがより近いかもしれない。一時的ではなく、年月を経ても存在するイメージ。それと同じで、こんな風にただただ思いつくままに綴るだけの文章であっても、やっぱり流れていくよりは、積み重なっていって欲しいと思っている。何となく、小さな塚を作っているようでもあるなと、この文章を書きながら思った。