「森を抱く」というタイトルの作品を展示したのが、昨年の春のこと。
その時、キャプションとして添えた文章がこちらです。
「森を抱く」
強い雨や焼けつくような日射しに豊かな葉を差し掛け、大地を肥やし、水を湛え、
優しくも厳しくもあろうとせず、生命を育み終末を受け入れる。
いつの頃からか、私は森に憧れ、森を求め、森になりたいとさえ思うようになった。
それは、30代半ばを過ぎた私自身の、“生命を内包する何か”への憧れでもあった。
同世代の友人の多くが母になっていく中、
私自身はどこか取り残されたような気持ちを感じるようになっていた。
同じ頃、病を患い闘病する友人も相次いだ。
当たり前だけれど、誰も自分の命を諦めたりなどしなかった。
一方、私は、自分自身が命に対して何の役割を担っているのかわからず、
そのことに後ろめたさを感じていた。
命を生むこと、育むこと、そして失われること。
豊かな森を望みながら、見知らぬ森を抱いて、私は今もここに生きている。
私にとって、この「森を抱く」という感覚は、今もずっと心にあります。昨年の展示で発表した作品は、完結したものではありませんでした。プロローグ的な位置付けの作品のつもりだったのですが、その後1年間、このテーマでの作品作りに取り組むことができずにいました。それは、何を撮っていくべきか迷いがあったからです。自分自身が抱く感情が“渦中の現実”すぎて、真正面から向き合うのをどこか避けていたのかもしれません。
でも、ようやく少し動き出せそうな気がしています。自分自身を含めた30代〜40代を生きる女性のこと、そして、“生命を内包する存在”としての森。まだまだ答えなんて出ないけれど、やはり撮ろうと思うのです。
渦中の存在としての自分の眼差しで、精一杯見つめてみたいと思います。